渋谷すばるという男 前編

  初の単独主演映画『味園ユニバース』の公開も迫り、ソロツアーも控えた渋谷すばるさん。関ジャニ∞の中でも現在特に乗りに乗っている男である。彼が単独でメディアに露出することは決して多くはなく、あくまで関ジャニ∞のメンバーとして仕事に向き合ってきた印象が強い。
  しかしながら、その「関ジャニ∞のメンバーとして」というスタンスが以前までとは異なった形で体現されているように思える。それには渋谷さん自身に心の変化があったのか、それとも周囲の環境に変化があったのか、はたまた単なる筆者の勘違いで昔から何一つ変わらない渋谷さんなのか。その辺りを紐解くことができればと考えている。
  尚、文中の発言は過去のインタビューから引用させていただいたものであり、考察に関しては言うまでもなく筆者個人の見解であることを先に記しておく。


ジャニーズJr.時代

  渋谷さんがジャニーズ事務所の門を叩くきっかけとなった、母・妙子さんの「5000円あげるからオーディション受けてきい」という発言に感謝するジャニヲタが何人いるだろうか。少なくとも東京ドームは埋めることが出来るだろう。そして「ちょっと出かけて5000円貰えるならええか」とオーディションを快諾した当時の渋谷さんの金銭感覚にも感謝したい。全てにおいてナイスプレーである。過程は割愛するが、同日のオーディションに後のメンバーとなる丸山隆平も居合わせたことだけは記しておく。
  兎にも角にも無事に合格し、その日のうちに雑誌の撮影を行ったというのだから驚きである。その後KinKi Kidsのクリスマスコンサートでバックダンサーを務めた際に後のメンバーとなる横山裕村上信五と出会い関西ジャニーズJr.の中心メンバーとして活動を続ける運びとなった。
  そして初出演したミュージックステーション。「愛してる愛してない」をソロとして披露したことにより、渋谷さんの人気は爆発的に上昇する。少年らしい、しかしどことなく妖艶な匂いを纏わせる声、クッキリとした目鼻立ちと華奢な身体、そして圧倒的な歌唱力。視聴者が見逃すはずはなかった。それまで東京Jr.の付属程度に見られていた関西Jr.の少年が全国のジャニヲタの心臓を鷲掴みにしたのである。この頃囁かれ始めた『東の滝沢(滝沢秀明)、西の渋谷』は最早伝説とも言えるキャッチコピーであろう。
  しかしながら、当時『東の滝沢、西の渋谷』と言われていたことについて、「あの人がいなかったら、たぶん、もうとっくに俺は終わってると思う」「ただ(比べられ始めてから)悩み始めた」と語っていることから、当時のジャニーズJr.で確固たる地位を築いていた滝沢と並べられることで精神的に脆い一面が垣間見えるようになったのだと考えられる。ミュージックステーション出演を境に仕事量は激増し、それに伴う上京、一人暮らしと生活環境も大きく変化したことも背景にあったのだろう。自ら「仕事を抑えたい」と事務所に申し出ることもあったという。 そういった心象の変化が激しい時期に同期であり同い年でもある横山、村上と信頼関係が深まったのもある種当然の結果であろう。
  さて、渋谷さんのJr.時代に関するエピソードはその他にも数多く存在するが、今回は割愛させていただき、そろそろ本題である渋谷すばるという「アイドル」が形成されていく過程を追っていきたいと思う。


続きは後編で。