Mr.Children『口笛』の歌詞を自分なりに考察してみた 【前篇】

『口笛』という楽曲

  2000年1月13日に発売されたMr.Childrenの18枚目のシングル『口笛』。彼らにとって最後の8cmシングルであり、ノンタイアップながらも累計売上枚数約70万枚を記録した。 

口笛

口笛

 

 

 ファンならずとも多くの人々の心に響いた本曲は、Mr.Childrenの楽曲における特徴の一つである徹底した情景描写が色濃く反映されている。発売から15年が経過した現在でも音楽番組やカラオケ店での「2000年代の名曲」なる企画の常連であり、今後も多くの人々の心を掴んで離さないであろう本曲を個人的に考察してみようと思う。

 

二人の登場人物

 本曲の登場人物は「僕」と「君」の2名だ。

  頼り無く二つ並んだ不揃いの影が 北風に揺れながら延びてゆく

 「不揃いの影が」と表現しているあたり二人はある程度の身長差があるのだろう。そして影が伸びるということは時間帯は夕方だ。着目すべき点は「北風に揺れながら」という部分だ。影は持ち主と同じ動きをするものであり、影単独で揺れることはない。したがってこの場合揺れているのは「僕」と「君」だ。そして二人の影が同時に揺れるとうシチュエーションはそう多くない。おそらく二人は並んで歩いているのだろう。(「にんげんっていいな」のアニメーションのような動きをしているなら別だが今回はイメージにそぐわないので除外する)

 このたった二人の登場人物が強調されるスパイスが本曲の中には無数に散りばめられているのだが、それについては後ほど触れる。

 また、頼り無いという表現にもいささか疑問を覚える。影とは光源の位置により大きさが変わる常に頼りないものだ。「君」と並んで歩く「僕」は地面に写る揺れる二つの影を見て頼り無いと感じている。そして頼り無いと感じる要因は「凸凹のまま膨らんだ君への想い」が「この胸のほころびから顔を出した」ことであろう。ほころびとは隠していた事柄が外に出てしまうことだ。この場合隠していたものは「君への想い」だろう。それも「凸凹のまま膨らんだ君への想い」だ。凸凹という字が表すように「僕」と「君」の想いは少々異なるものだと考えられる。

 

「永遠」というキーワード

  口笛を遠く永遠に祈るように遠く響かせるよ

  言葉より確かなものに ほら 届きそうな気がしてんだ

 そしてBメロ。ここからは情景描写ではなく完全に「僕」の主観による表現に切り替わる。これこそがMr.Childrenの醍醐味なのである。Aメロではある種客観的に表現されていた「僕」と「君」がBメロからは「僕」と「僕の隣にいる君」へと変化する。

 このような視点の切り替えはMr.Childrenの歌詞に多く、『口笛』の他にも『ロードムービー』や『未来』も情景が思い浮かびやすい曲といったいいだろう。また、『ほうき星』に関しては少し特殊でサビが情景描写と比喩表現を融合させた歌詞で構成されている。これに関しては別の機会にぜひ考察の機会を設けたいと思う。

 

 さて、Bメロの歌詞で特筆すべきは1行目だ。「口笛を遠く永遠に祈るように遠く響かせるよ」。キーワードは「永遠に」という表現だ。「口笛を遠く/永遠に祈るように遠く響かせるよ」。メロディーラインに乗せるとこのように区切られている。この場合永遠に続くものは“祈り”であると解釈できる。「僕」は永遠に続くように口笛を響かせている。口笛とは自身のくちびるの隙間から空気を出し続けることにより音をだけ継続させることができるため、物理的に考えて永遠に吹き続けることは不可能である。それでも「僕」は口笛を永遠に祈るように響かせる。まるで「永遠などない」という考えを否定するかのように、口笛を祈りと重ね合わせている。物悲しく、切ない。それでいて美しい表現と感じる。“祈り”という行為の永遠性は桜井さんが書く歌詞に度々登場しており、2012年に発売された『祈り~涙の軌道』でも「さようなら さようなら さようなら』と祈りを込めたキーワードを繰り返すことで連続的に永遠性を読み取ることができる。いつかこの曲についても考察を深めたい。

 話が逸れた。いずれにせよ「僕」は口笛を永遠に響かせることで、「言葉より確かなもの」に届くと信じているのであろう。「届く」という表現をしている以上、「言葉より確かなもの」は手の届かない場所にあるのだろう。もしかするとそれが「永遠」なのではないだろうか。「僕」と「君」との永遠を口笛に乗せて祈る、という解釈に無理はないように思える。

 

  さあ 手をつないで僕らの現在が途切れないように

  その香り その身体 その全てで僕は生き返る

  夢を摘むんで帰る畦道 立ち止まったまま

  そしてどんな場面も二人なら笑えますように

  サビはBメロと引き続き「僕」の主観で進行するのだが、これまでと異なる点が一カ所だけ存在する。それは「僕」が目線が「君」に向いているという点だ。勿論物理的な視点ではなく、あくまで表現上の目線である。その根拠はことばの端々に置かれた接続詞の数々だ。「さあ」「その」「そして」「ように」これらが絶妙なスパイスとなり本曲に彩りを与えている。

 「“さあ” 手をつないで」。「僕」は「君」にこう伝える。「手をつなごう」でも「手をつないで」でもなく「“さあ” 手をつないで」。これは単なる呼びかけではない。“さあ”という表現は何かを急き立てるときに多く用いられる。「僕」は半ば焦ったような気持ちで「君」に手をつなごうと持ち掛けているのだ。ではその焦りの原因てゃ何か。ここでBメロの「永遠に祈るように遠く」響かせた口笛との関連性が見えてくる。永遠に続かない口笛を永遠に祈るように吹いた理由。「僕」はいずれ訪れる終焉を恐れている。だから「君」を急き立てて手をつなごうとする。「僕らの現在が途切れないように」。現在が永遠に続くように。たとえ終りが訪れても「君」の「その香り その身体 その全てで僕は生き返る」ことができるから。「君」は夕焼けの畦道は立ち止まったまま何を思っているか、それは描写されていない。しかし「僕」の想いは一つ、「どんな場面も二人なら笑えますように」という“祈り”である。この祈りは「そして」という接続詞によって強調されている。また、二人「なら」笑えるということは、全文節の「場面」はきっと笑うことができない場面なのだろう。笑うことができない未来がやってきても「君」とともに笑うことができるようにという「僕」のささやかな祈りをもって1番は締めくくられる。

 

まとめ

  さて、1番の流れをまとめてみよう。

①「僕」と「君」が夕焼けの中で並んで歩いているという情景描写

②「僕」と「君」の想いにはなんらかの相違点が存在する

③「僕」は何かに対して不安或はそれに似た感情を抱いている

④「僕」は永遠を望んでいる

後編では以上4つのポイントを踏まえつつ「僕」の心境と二人の関係性について考察を深めていく。

 

 長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。よろしければ後編を更新した際もご覧ください。