渋谷すばるという男 後編

  さて、後編です。今回はデビュー時から現在までの流れを追っていきます。
  重ね重ね申し上げますが本文中の考察はあくまで筆者個人の見解であることを今回もまた先に記しておきます。


結成〜デビュー初期

  2002年、関西ローカル番組で「関ジャニ∞」の結成を発表。関西を中心に活動の幅を広げ、デビューを目指す。途中、錦戸がNEWSとしてデビューしたことを受け、メンバーが口々に「もうデビューできんのやと思った」とデビュー後に振り返る中、渋谷さんだけは沈黙を貫いていたのが印象的である。
  しかしながら2004年8月に関西限定で、同年9月には全国デビューを果たした。所属レーベルの屋上で各々の名前が書かれたノボリを振るというデビュー会見はファンならずとも衝撃的な映像であっただろう。ちなみに当時のことをメンバー(主に横山、村上)は今でも鉄板ネタにしている。抜け目ない男である。
  話が逸れた。デビュー後、瞬く間に大人気グループに!……とはいかなかったものの、デビュー時期が近いNEWSやKAT-TUNとともに「You & J」の括りでジャニヲタから親しまれるようになっていった。当時のジャニーズ業界においては東京Jr.>関西Jr.の印象が強く(メディア露出や人気において)、その中でデビューを勝ち取った関ジャニ∞はまさに関西ジャニーズのパイオニアと言える。特に渋谷さんに憧れる関西Jr.は多かったようで、「関西(Jr.)はみんな渋やんのマネしてた」とメンバーの安田さんも語っている。

  さて、デビュー後はドラマ「ありがとう、オカン」や村上さんとの舞台「未定 壱」など活動の幅を広げていった渋谷さんであるが、なんというか、イマイチ「乗り切れない」感じだったのである。手を抜いていたとか、つまらなそうだったとか、そういう次元の話ではない。ただ、歌っている時ほど輝いてはいなかったような印象があったのだ。村上さんとの舞台に関しては気心知れた仲ということもありドラマ程の緊張感はなかったものの、自信がある堂々とした立ち振る舞いといった面では歌っている時の方がのびのびとしていた。それは、村上さんに対してある種依存のような形で頼りにしていた当時の心境も相まっていたのかもしれない。
  今も昔も、渋谷さんの中には「歌」が絶対的な存在として君臨していた。しかも彼が尊敬するアーティストはザ・クロマニヨンズだ。所謂アイドルソングとの互換性は決して高くない。「アイドル」という自身の職業に戸惑いを覚える部分が少なからず存在していたのではないかと思うのだ。


渋谷すばるというアイドル

  2010年ごろから、渋谷さんが「自分はアイドル」という発言をすることが多くなった気がする。某雑誌のインタビューではハッキリと「関ジャニ∞っていうアイドルやってるって胸張って言える」と発言している。2010年といえば初の主演映画「8UPPERS」の公開年である。私にはこれが渋谷さんの転機であるような気がしてならない。アイドルでも新しいことができる。従来のようなキラキラした笑顔をファンに与える存在ではなく、等身大の自分が1番やりたいと思うことを全力で発信できる。それを知ったのではないかと考えてしまうのだ。
  極め付けは2014年10月のドリームフェスティバルだ。「関ジャニ∞っていうアイドルグループやってるんでよろしく!」と言い放ちステージを後にしたという。たった一人で、純粋に歌唱力を認められて立ったステージで、個人的な思いも自己紹介も一切話さず最後の一言にすべてを託したのである。最高にロックではないか。
  渋谷さんはこの「ロック」な生き方に非常に重きを置いているように思える。彼がザ・クロマニヨンズの大ファンだということはファンにとっては周知の事実だが、ジャニーズ事務所のアイドルという職業はどう考えても彼の憧れる人々とはかけ離れている。少なくとも、これまでは。しかし彼は自分自身の力を持ってジャニーズ事務所のアイドルという肩書きを「ロック」なものへとのし上げた。その表れがドリームフェスティバルなのではないか。「渋谷すばるです」でも「関ジャニ∞渋谷すばるです」でもなく、「関ジャニ∞っていうアイドルグループやってる」。決してホームではない場でこの事実を大衆へ放り込むことは想像以上に勇気が必要である。周囲にいるのは「歌手」や「アーティスト」なのだから。



 きっとこれからも彼は自身の身体と歌声でアイドルとして生きていくのだろう。渋谷すばるという男は最高にロックなアイドルであるから。